ブログ

  • 2025/09/06

    ブログ

    ばんだながアッシュ辞めた理由(遺書)

    みなさん、こんにちは。

    今日はアッシュHPクローズのお話です(T_T)
    2020年に大金かけて作ったHPですが10/31をもって解約となります(>_<)
    必死こいてデザインしたのですが、さして効果がなくて残念でしたΣ('◉⌓◉’)
    今は何とか個人利用できないか、運営さんと交渉中なのです( ̄◇ ̄;)

    今回は残り50日の間に訪問してくれた人に向けて私の今後についてと、私がこのたびアッシュの幕引きに至った根本的なお話を残そうと思いました。

    まず、私の今後はシュタイナー学校の先生になる教員養成を受講します。
    シュタイナー学校は100年前のドイツの教育者ルドルフ・シュタイナーによって発足された人智学(アントロポゾフィ)を根っこにした全人教育のための世界的教育組織(世界中に1000近くの学校がある)です。※時折過去ブログに出てたかもです

    これを母が存命の間に成し遂げたいと数年前から考えていました。
    ※数年前にガンを患った母からの手紙の時から“このままで良いのか?“と思った。
    ※また転移もしていた母のガンは私の紹介したシュタイナー医療でのヤドリギ治療の結果、抗癌剤治療なしで約2年で母はガンを克服して、現在は元通り元気に活動できるようになった。

    そのためにこの旭川のコートを自分以外の誰かに託すことが必要でした。
    クラブ利用者に提供してきたイベントやレッスンの相性の悪さや手応えの無さを機会に、少しずつ自分が必ずしも必要とされていない感じが私の中で整っていったのを私の現実からのメッセージと判断したのが今年の春でした。
    ※過去一貧乏で数千円単位の生活苦だった冬からすでに歯車は回ってたと思う

    その際“スカッシュのない生活”を想像した時、全く問題がなかったのですT_T
    ※昔は朝起きてアッシュでの活動があって安堵してたくらい天職だった…

    幸いにも旭川のコートを残すための交渉も最初でカタがつき、10年で散財したお金の返済法の目処もどうにかなり(そう)、8月25日にアッシュ閉館のための正式な告知をさせていただきました。

    最後にこの経緯を導いてきた根本的な因子を紹介して終わります。


    『神智学』p43 ルドルフ・シュタイナー著
    ※シュタイナーの著書/翻訳って300〜500の全ページを小さな文字でギュウギュウに詰めて来るのやめてほしいΣ(‘◉⌓◉’)

    最高の感情は“自ずと”現れてくる感情なのではなく、精力的な思考作業の中で獲得される感情なのである」という一文の解釈を私なりに行うことで、伝わる人にだけ私の思うことを伝えます。
    ※本当は全体を通じて部分を語らなければならない

    視点としては主に2つです。
    ⒈感情=衝動、情動、本能の欲望のこと(平均/デフォルト
    ▶︎過去の人類のロールモデル(物質世界の認識と支配に優れた感覚に慣れてる)
    ⒉精力的な思考=肉体の限界を超えた人間的思考のこと(最高/精神的達成
    ▶︎現在の人類が獲得すべき精神的境地(シュタイナー曰く、偏見さえなくせば容易)

    ◯自ずと現れてくる感情
    例えば、大谷翔平(及び有名人や親類)の活躍に熱狂、感動、期待等の影響を受けるとかがわかりやすいのですが、それは感受しているだけで感受している当人の環境に当人が自分のことのように影響を受けている像(形のイメージ/形象/心)なのです。
    ※ちなみに私は20歳からテレビを観るのをやめた=他人の祭りに気づいたから
    ▶︎自分の生活や仕事及び挑戦で受ける環境の状況判断等で感じる感情の流れも同様
    ▶︎例えば、高い所に立って竦む思いとかも自然環境という認識から提供されてる感情
    Ans:感情そのもの(心の動き)とその感情を受け取る自分(魂の自我)は別=私(高次の自我/霊)が感情(対象=別の自分)を思考している
    ▶︎肉体を通じて生命(代謝)と感情(心魂)と霊(私)が融合している状態が生涯を創造

    ◯精力的な思考作業の中での感情
    例えば、明晰夢や臨死体験及び自動書記や目には見えない何かとの対話やどこからともなく提供されるヴィジョン的なインスピレーションからの影響等を感受する器官のことを、どのように考えるかの現実的解釈(像)の変化(動き=感情)による感情
    ▶︎感情が自分の肉体の外に由来していることを認識の視座にした“自分という像を俯瞰し、内観し、許容する”思考内容の認識=感情の熱に色がつく、フィードバック、言葉への洞察、光(認識/思考)の変容、変な直感的な認識を霊的存在との答え合わせ的な作業における一致と不一致の間で左右する感情への精力的な意志による思考
    ▶︎例えば、共感覚や霊感があるから優れている、というわけではない。
    Ans:その立場に“提供されている感情(宿命)の意味”を汲み取った上で、死後と生前とで肉体を超えた人間存在のための活動が、全ての人類に求められていることの理解と活動が大切だから、そこに優劣はない(あるのは命への解釈と真善の開示行為による新たな感情への芽生え/霊的覚醒)
    ▶︎よって死んだら終わり、考えても仕方がない、死んでから考えれば良いの精神は私の考え方からすると控えめに言って少し楽観的過ぎると言わざるを得ない。
    肉体の死後は眼の代わりに地上で培った霊や魂を見通せる意識/精神が視界になる
    ※あと最期の審判で思ってたこと全部バレるし、相手に思われてたことも伝えられる

    なぜなら、人類の進化はどこかの段階で終わるのではなく、限りがないから

    人間の天地創造には終わりがないのです。
    まぁ、この手のことを信じるか信じないかもみんな自由意志に基づいているのですが、その自由が何であったのかの選別が死後にはあることから自由意志によって築かれた生涯で獲得されたものが次元の通行証として(死後の)精神段階の基準となります。

    例えば、私たちの現実では『愛と自由』で正当化されることって多い。

    でも、一般的に尊ばれてる“愛”って差別なんですよ。
    区別や識別に個人的な感情を込めたものが差別(好き嫌い)ですよね。
    どんなに慈しいと論じられたものでも、それが無償で無責任でない限りは情愛という偏った差別であることを美しい物語にして共有されているもののバリエーションが感情として私たちの心として展開されている。
    ※“私たちにとって“の無償で無責任といえば子供とか自然のこと

    そして、その情愛をいかにして展開するかの“自由“が健康を上回る義務としてある。

    人間の自由には、この情愛という疑うのが困難な差別的感情から解放される道を見出すことができる霊的思考のための器官の萌芽が準備されている。
    この霊的器官を素直に解釈できるかどうかの分水嶺については、エベン・アレグザンダーというある権威ある方がこのように論じている。
    ※エベン先生=ハーバードメディカルセンターの脳外科医トップ(医学的エリート)
    ▶︎医学的権威の立場から臨死体験は信じていなかったが、ある日自ら大腸菌髄膜炎により臨死体験をして生還し、臨死体験は医学的に否定できない旨を著書化『プルーフオブヘブン(天国の証明)』

    死後の世界の事実を伝えるという行為は、あるチンパンジーが人間社会で一日文明体験をしてきた、という話を自分のチンパンジーの群れに戻って、群れの連中に人間のことを説明するくらい難しい
    ※私が言ってるのではない、エベン先生が言ってるのです

    私の敬愛するルドルフ・シュタイナーはこの世界の全てが霊であるとしています。

    霊とはいわゆるエネルギーのことです。
    シュタイナーは子供の頃から100年前の原子論に精通し、晩年には相対性理論についての見解(ダメ出し=重力への解釈に穴/無限大がある)も述べられるほどの天才でした。
    この一般科学が原子や素粒子を研究する分野のことを量子力学というのですが、核融合や核分裂の際の膨大なエネルギー(原子力)のことを想像してください。

    E=mc2のことです。

    これは質量を光速の2乗で掛けたものでエネルギー(エネルギー=熱量なのですが、熱は非物質なので観測できません、また熱力学的に熱=時間ともされていて、シュタイナーは熱と人間によって時間が生まれたと言ってます、100年前にすごくね?)に変換できる式なのですが、シュタイナーはこの膨大なエネルギーのことを霊魂の作用であると言っているのです。
    ※空間=アストラル世界(星界=魂の世界)
    そして、この霊とは神がこの世界を創造するにあたって材料とした力なのです。

    それを『愛(霊=熾天使/序列1位)』と呼ぶのです。

    宇宙にエネルギーを与え、生命の因子を光とし、生命に動きを可能にし、現在の天体が物質の形態を形成するに至る歴史を提供した神の意志(霊)によるプロセスそのものが『愛』なのです。
    つまり、宇宙という自然の愛によって私たちは生かされている。

    『愛』と何か?

    存在する全てが神の意志(霊)としての愛なのです。
    私たち人間の魂はその愛から分離した感情を吐き出している意識にあたる。
    だから霊(思考する私/自我)が北風的に魂を吹き飛ばすのではなく、太陽となって人間の魂に自然(物質)を破壊し、作り替え、整える思考によって魂を霊的に改造する機会として自我を人間に反射させている。
    そのため人間の肉体は地球由来だけど魂だけが自然から独立し、分離していることから現人類は神の愛とは違った愛を自由な権能のもと再創造している。
    それが文明文化の芸術として開示された魂(感情/欲望/衝動)の作用なのである。

    スカッシュの話も大好きだけど、この手の話はもっと好きなのが本当の私( ̄▽ ̄)

    当たり前のことだけど、私たちは話したいことを話している時が一番楽しい💫
    私は私の信じる人間存在への憧れと真理への追求に熱を向けている時が最も充実した自分であることの再確認を、スカッシュというスポーツと旭川での事業を通じてとても深く推進されることができた。
    その全てのプロセスには感謝しかない。
    ずっと、この精神性とスカッシュ事業との両立共存をイベントやプログラム等で試みてみたけど、どうしても難しい壁がクラブを運営していく上で立ちはだかり続けることに、これは私が自重することでしか成り立たない理想なんだなと思うようになりました。

    それでもスカッシュというスポーツも事業も楽しい以外ない。

    できれば今でも毎日全力でスカッシュしたいT_T
    ※誰も打ってくれる人いないから別のスポーツで平気になっちゃったよ!!
    自分の霊的洞察によるコーチングにも特別な才能を感じている。
    けど、見えすぎていることによる精神への弊害もまた同じくらいある。

    そして、その弊害こそがスカッシュへの熱意や人間愛のスレ違いから来るものだった。

    そのことに気づいた時、自分以上にスカッシュへの正当な熱意と愛のある人が旭川のコートは運営されるべき、求められている「愛」に応えることのできていない人間によって旭川のスカッシュの可能性を閉ざされるべきではない。
    スカッシュの需要には今以上の可能性が約束されている。
    2028年のオリンピックが少しずつ近づいていて、さとみちゃんの世界ランキングは6位にまで上昇し、その注目度は必ず旭川の市民にも影響があるはず。
    申し訳ないけど、私のやってきたことがずっと水平底辺だったことを考えれば、これからのスカッシュ事業は可能性しかない。
    本当はもっと無難な状態で渡せればよかったのですが、最悪の状態になる前に託すことが最善であると判断しました。
    けど、既存メンバーの半分が子供達であることだけが心残りではある。
    ホントは限界超えて圧倒的な自分になって自信満々な人(スカッシュ戦士)にしてあげたかったけど、ゴメン、私がスカッシュのコーチであることを先に諦めてしまった(T_T)

    でも、これからはたくさんのことが今よりもっと良くなります。

    今後は優れた協力者が11月から旭川に来てくれるということなので安堵もしている。
    私はこの安堵を土台に次なるステージにて、今度こそ親族に信頼してもらえる“私の生き方”を提示することで、両親が与えてくれた宿命を飼い慣らした姿を見せ、彼らに安心してこの世を去ってもらえるよう全力で生きていこうと思います。
    ※宿命=肉体に生まれてから死ぬまでつきまとう感情(生き霊/死霊)のこと
    ※運命=生前と死後を含めたプロセスのことゆえ宿命によって変化
    ▶︎「運命は変えられる」は死後の運命のこと、宿命は生き霊と死霊の因果
    ▶︎感情とは生き霊と死者の霊による地球の因果(霊/自我による観測選択効果的現象)
    ▶︎なぜ人間及び生命は死ぬ/生きるのか?
    Ans:霊が魂(唯物的感情)を浄化/霊化/成仏(ステージの変化)させるため
    ※生命が魂(意識)を奪うこと(浄化)で私たちは毎晩眠っては覚める
    ▶︎肉体の死も睡眠と同じで地上の魂の成果が新たな意識となって持続していく
    ▶︎人間の本質は魂を変化(霊化)させていく自由を有した霊なので終わりはない

    今後はこの叡智に万雷の拍手をして“もらいたい“という野望に向かいます✨

    オレはシュタイナー学校の先生になる!!

    それではまた〆